【本当は?】というテーマでお話しします。
死の願望を抱いているうちは、
まだ生存本能が作用している証拠。
死への願望が膨らむ時は、
環境の辛さや厳しい現実、周囲の人々の裏切り行為、
自分自身への期待値の低下など、
死への願望など、コロナ過の現在いくらでも
湧き出てくる。
そんな辛い世界を目の当たりにすれば、
死という選択をすれば、
辛い世界から目をつぶる事ができ、
楽になれるのだろう。
しかし、本当にそうなのだろうか?
死への願望=現世界に絶望
となる訳だが、絶望という事は、
何かに期待していたのでしょうが、
果たして何に期待していたの?
他の誰かが、何かを変えてくれるとでも
期待したの?
もっと言うなら、自分なら自分を
変えてくれるとでも期待してた?
そんな幻想は捨てた方がいい。
期待するだけなら、過去も今も、
そしてこれからの未来も、
その期待は実ることはない。
だから、全ての期待を捨てて、
ただただ自分だけの課題に打ち込めばいい。
打ち込んだ先に、期待以外の
何かがあなたの中に生まれてくる。
だから、死の願望を抱いているうちは、
何かへの期待が裏切られ現世界の存在が
辛くなっている極限状態。
でも本当は逆に何の情報もない死を選ぶことで、
現世界に何かを示したい行動に期待しているだけ。
何度も言おう!
期待はさっさと捨てて、
自分だけの課題に打ち込んだらいい。
死にたいと思えるうちはまだ生きたいと、
期待という生存本能が作用しまくってよねって
お話しでした。