本当は…

本当は…

学びは、親心で与えても意味がない!

#基礎学力などは、ここでは除いてます。

学びには、様々なジャンルがあるが、

社会で生きていく上で必要な学び

(中高生までの基礎学習など)や緊急性は無いが、

必要になるであろう学び(お金の勉強など)など、

感受性が豊かな人であれば、人生そのものが

学びとなる。

しかし、中には当てはまらないものもある。

それが冒頭でお伝えした

学びを与え続けられる事である。

#学びそのものに罪は無く

 それ自体はむしろ推奨したくらい。

ここで問題にしたいのは

受動的なのか?自発的なのか?の二択。

 

受動的な学びは、半ば強制的な環境でもない限り

続かない。

幼い頃、両親に無理やり勉強をさせられ

成績はそこそこだったが、両親から手を離れ

社会人になった瞬間、学びを辞めてしまう事が

良い例だろう。

 

それに比べて自発的な学びは、勝手に興味を持ち

学び続けるので永続的な成長が望める。

しいて言えば学びのネタが尽きた時に

そっと手を差し伸べる程度で

十分ではないだろうか?

よって私は人にものを教え続けることは

本当の意味でためにならないと考えている。

仮に出来ることがあるとすれば

それは「自ら気つく手助け」ではないだろうか?

それでは、また!

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