すぐそばにあったもの

悲しみは見ていないだけで、すぐそこにある。

ANSER。本当は分かっていたのに、すぐそばにあったもの。

さて、新天地で約1年ぶりとなる投稿です。

昨年末に、もう忘れていた存在…(正確に表現すると悲しみに囚われたくないので

心に蓋をして見ないようにしていた存在。)娘との再会を果たした。

少し話を戻すと、元奥様と離婚して、たぶん13年が経ち、10年前までは娘と息子にたまにあっていた。

その二人も思春期に突入するから、ねじ曲がった親のエゴで少しずつフェードアウトしようと思い、10年後の現在に至る訳だ。

(でも別れ際のあの辛さが年々耐えきらなかっただけなのよ(汗))

さて…どう再会できたのか?本当に偶然としか言えない。

ある日、行きつけの喫茶店で、いつもの如く、読書後のアウトプットしていた時の事、

何気なくスマホで音楽を聴こうと画面をスワイプ…と同時に謎の電話番号から着信に出てしまった。

(普段なら折り返しなんか絶対しない!)出た以上、少し会話をすると、相手は娘といってきた…

「詐欺か…」心に響いた警鐘はそれだった。娘しか知らない情報を引き出しつつ、こちらの情報は一切与えない

警戒度MAXでリサーチすると、どうやら本当の娘だった(疑い深くてゴメン)積もる話もたくさんあったが、

ひとまず会う約束だけして、電話を切ることに・・・。

後日、娘との久しぶりのデートになる訳だが…(これはまたの機会に…)

話を最初に戻して、10年ぶりに、実の娘との再会を果たして、わが子の成長を目にして

別れが来たとき、また胸の奥の切ない感情が生まれてくる。分かっていた。その感情は…

10年前からずっとそばにいて、見ないようにしていただけなんだ。乗り越えたわけでも、忘れたわけでも、打ち勝った訳でもない。

ただただ蓋をしていたに過ぎないんだ。ネガティブな感情はしっかり向きった方がいい。そうじゃないといつもあなたのそばに

くっついてきてしまう。

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